この映画のいいところは駿監督の脚本のお陰で、ダメなところは、吾朗監督のせいみたいになってて、なんだかカワイソウ…。なのでちょっと、吾郎監督を応援してみようかと・・
駿監督の脚本を読んで見ましたが、脚本にはない吾朗監督が変更・追加したシーンが結構成功してるなあと感じました
※【以下、ネタバレありなので注意】
ラストシーン
脚本では小野寺船長との邂逅のあと、海と俊の2人はタグボートから丘の上のコクリコ荘の旗を見上げて終わりますが、映画ではもうワンシーン加わり、海がいつもの旗を揚げるシーンで終わります。
このシーン、映画の冒頭となんら変わらない事をしているのですが、意味合いが全然異なっています。
今までは亡き父を想っての意味しかありませんでしたが、最後では父だけでなく、俊への想いも込もっています。そして、祖母からの「すてきな人が出来て・・・旗を揚げなくてすむようになったらいいのに・・」と言われたことへの回答にもなっています。
また、旗を揚げた後に汽笛が鳴りますが、冒頭の海は気に留めません。
しかし追加したラストシーンでは、俊からであると判り(の様に見える)ニッコリ微笑みます。
冒頭から一貫してお互い見えない位置からのやり取りでしたが、最後にようやく想いが通じた感じられ、余韻のあるイイ終わり方になったと思います。
ラストがアッサリしているとおっしゃる方もいると思いますが私は、ここが後日談的なシーンとしても上手く効果していると思います。
告白のシーン
脚本では、東京行きの前日に海の母が帰国し海は俊の出生の秘密を聞き出しますが、映画では告白の後に母が帰国します。
そして脚本では告白時の海は、”俊の父は沢村では無いと母から聞いたけど、本当の事は母さんも知らないらしいの…”と自信無さげな説明をした後に告白するものだから、いまいち力の無い告白になってしまいます。
映画では、疑惑が解消しないままの状況による告白となります。こうなると、成就出来ない可能性のある恋であるけど、せめて想いを伝えようという、海の必死さや切なさがより強調された印象深いシーンになったと思います。
※テレビCMではこの告白シーンだけを切り出したパターンがあるようですがこのシーンだけ見ても誤解を招きますよね・・。もう一度映画館に足を運んでもらいたい人向けなんでしょうか?