嫁と桜木町のブルク13で「コクリコ坂から」を鑑賞してきました~。
TVCMだと、なんだか暗そうな話をイメージしてたけど、まったくそんなことは無く
とても清涼感のある爽やかなお話。どんな困難にもまっすぐ向き合っていこう!と元気がもらえる作品です。
さて、横浜に住んでいるゆえかどうしても気になるのは、劇中で出てくる場面の地理的な整合性(設定は、昭和38年、1963年の横浜)。
以下、ちょっとメモ。個人的な考察です。多分に間違いがあると思われるのでご了承を。
目次
ヒロイン「海(メル)」の住んでいるコクリコ荘の場所は?
コクリコ荘からの景色は「港の見える丘公園」(山手)からの景色を彷彿させるのですが、映画冒頭のシーンのタグボートはコクリコ荘がある丘を向いて左に突き進んでいる事から「港の見える丘公園」だと手前過ぎる。それに1963年に完成したばかりの山下埠頭に引っかかる。
となると、もっと先の本牧・根岸か磯子あたりがちょうどいいように思える。
ただし、本牧・根岸は米軍居留地がある事を考慮すると、磯子付近の丘陵地の方がそれっぽいかも。学校はさらに南側の杉田か屏風浦(びょうぶがうら)あたりでしょうか、コクリコ荘から徒歩圏内。
- 横浜市観光情報公式サイトの宮崎吾郎監督へのインタビューにて、モデルになった坂はどこか?という問いに対して、あくまでも監督のイメージであると語っている。
- 横浜市の広報よこはま中区版2011年7月号には、中区が「コクリコ坂から」の舞台として1960年代の代官坂の写真を表紙に掲載している。ちなみに代官坂の途中にある「宮崎生花店」が、劇中の俊と海が坂を自転車で下るシーンに登場する。
- コクリコ坂からビジュアルガイドによると、谷戸坂の裏坂が坂のイメージ元と書かれている。
→裏坂はブラフ積が連なる特徴的な坂で、あんまりコクリコ坂のイメージとはピッタリ一致しない。
”山手谷戸坂中途から山下居留地をみる〔彩色写真・日下部金兵衛〕 明治30年代”のほうが近いのでは? - コクリコ坂からのオフィシャルサイトによると、コクリコ荘があるのは神奈川近代文学館をイメージ(位置的には港の見える丘公園とほぼ同じ)
- コクリコ荘の和洋折衷建築は、根岸なつかし公園にある旧柳下邸に似ている
- 昔の磯子
よって、コクリコ荘からの景色、場所は複数のモデルをベースにして合成した架空の場所という事でしょう。
わたしは景観は主に山手で、位置的な場所は根岸・磯子あたりだと思います。
現在の磯子・根岸・本牧には映画の場面を彷彿させるような場所はほとんど残って居ないのですが、一つコクリコ荘を彷彿とさせる和洋折衷の建物が残る「根岸なつかし公園・旧柳下邸」があります、実際にコクリコ荘のモデルにもなったとされています。
「コクリコ坂から」が宣伝的には山手や元町商店街をメインに絡ませるのはしょうがない事だと思ってます。観光客が来やすいロケーションで、西洋建築(洋館)がたくさん現存し、丘の上から港が見える整備された公園あるのは山手しかありませんから。
風間 俊の家は?
家は「ほんまち」と言っていましたが「ほんまち(本町)」という地名は無く、「ほんちょう(本町)」なら県庁から馬車道の間あたりにあります。
ただ、本町は開港以来、明治のころから横浜の中枢機能が揃うオフィス街。映画では目の前に川?運河?があって「大岡川」なのか、ちょっとハッキリしません。
俊の部屋の窓の向こうに「キャラメル」と書かれたピンクのネオンが小さく見えたので、なんとなく伊勢佐木町または曙町・黄金町・福富町あたりが見えてるのかなと思う。
となると、「大岡川」沿いでもいいのですが、もうちょっと南側のJR関内駅の南西側の大通り公園あたりかな?と仮定してみました。
現在の大通り公園、地下鉄ブルーラインの伊勢佐木長者町から阪東橋にかけては1972年まで吉田川・新吉田川という運河があったそうです。他にもこの当たりはいっぱい運河があったのですが1970年台には軒並み埋め立てられており今に至っています。
俊の家もこういった、今は無き運河に面していたのかなと。
埋め立て年度
- 吉田川、新吉田川 → 1972年(昭和47年)
- 派大岡川 → 1977年(昭和52年)大岡川と中村川を結ぶ運河、今のJR根岸線(桜木町~石川町)となりの首都高横羽線
なお映画コクリコ坂からの舞台は1963年の横浜です。
海と俊が歩いた横浜の町は?
徳丸理事長への直談判の帰り、海と俊が夜の横浜の街を歩いているシーン。
映像でハッキリと桜木町駅、県庁(キング)、横浜税関(クィーン)、山下公園、ニューグランド、マリンタワー(赤白カラー)、氷川丸(緑)が写っています。
最後に市電(路面電車)”西の橋”停留所につきますが、この電停は横浜市電・本牧線の”元町”停留所、現在のJR石川町駅から元町の商店街に入る入り口付近の事と思われます。明治の開通当時”西の橋”と呼んでいた停留所は後の”元町”停留所。
※舞台となっている1963年は、まだ桜木町より先の根岸線は開通しておらず、翌年の1964年に桜木町-磯子間が開通する。
※市電の車体には宝田洋食器店(タカラダ)の看板が
桜木町から西の橋まで距離にして3.3km、徒歩で40分程度です(意識し合っている男女なら、苦にならない距離ですかね)。
告白のあと、海は市電に乗ってどちら方面にいったのか?
映画では行き先が”元山下”と表示されていましたが市電にそのような停留所は無いし地名としても存在しません。仮に山下町だとしても今まで来た道を返すだけになるので”元山下”自体はあまり意味がないと思います。
”西の橋”停留所を実在の市電の”元町”停留所(停留所の旧名がズバリ”西の橋”なので)と仮定すると、この路線”本牧線”に該当し桜木町方向か、本牧・根岸方向にしか行けません。
やはり、本牧・根岸方向の市電に乗ったのではないでしょうか。
海を乗せた市電は山の方に向かっていきます。向こうに続く絵は真っ暗で判りませんが山手トンネル(本牧隋道)ということになるのでしょうか。(西の橋で俊が海を見送ったのは、ここからは山登りになりになる事と、俊の家が逆方向であったためと思われる。)
とりあえず、個人的には位置関係はこんな感じかと想像してます。
関連書籍
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